丘みどりのwiki経歴!家族ぐるみの阪神ファン!六甲おろし歌唱や国家斉唱も

演歌歌手でありがらバラエティー番組など多岐にわたり活躍している丘みどりさん。

そんな丘みどりさんですが小さい頃からの阪神ファンであることも知られています。

18年ぶりの阪神セリーグ優勝で丘みどりさんの喜びの声も報道されていましたね。

丘みどりさんが、どんな経歴の演歌歌手なのかなど気になるところです。

今回は丘みどりさんのwiki経歴やプロフィールをまとめてみたいと思います。

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目次

丘みどりのwiki経歴

それでは丘みどりさんのプロフィールをみていきましょう。

丘みどりのプロフィール

  • 名前:丘みどり(おかみどり)
  • 本名:岡美里(おかみさと)
  • 生年月日:1984年7月26日
  • 年齢:39歳
  • 血液型:A型
  • 星座:しし座
  • 出身地:兵庫県姫路市
  • 身長:157センチ
  • 職業:演歌歌手
  • 特技:民謡
  • 趣味:トレッキング
  • 大使:姫路観光大使・パラオの文化音楽親善大使・宍粟観光大使
  • 事務所:アービング

丘みどりさんは2023年現在で39歳です。

特技である民謡は5歳のころから始めています。

かなり人見知りだった丘みどりさんを心配して母親が祖母の通う民謡教室へ連れて行ったことがはじまりでした。

1996年11歳、丘みどりさんが小学校5年生のときには「兵庫県日本民謡祭名人戦」に出場し、なんと史上最年少で優勝、県名人に選出されています。

丘みどりさんは「民謡の天才少女」とも言われていました。

音楽と言えば民謡しか知らず、発表会でも太鼓と三味線のお囃子を伴奏に歌っていたんです。

Real Sound

と本人も語っている通り、民謡一筋だったからこそ素晴らしい結果を残せたのだと思いますが、本当に歌が好きで相当な努力があってこそだと思います。

丘みどりさんは昔からかなりの歌の実力があったんですね。

演歌歌手を目指したきっかけは鳥羽一郎

丘みどりさんは5歳のころから民謡を習いながら祖母が好きだった演歌歌手のコンサートにも行くようになります。

その中で一番影響を受けたのは幼稚園の時にみた演歌歌手の鳥羽一郎さん。

演歌の伴奏は迫力のある生バンドで、その演奏に感動したし、その中心に立って微動だにせず歌っている鳥羽さんの姿が、これ以上ないくらい格好良くて。

うたびと

と本人も語っていますが、かなりの衝撃をうけプロの演歌歌手になるという夢を抱くようになりました。

丘みどりさんが5歳、1990年当時の鳥羽一郎さんですが、男前でかっこいいですね。

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アイドル時代の丘みどり

そして2003年18歳のときに演歌歌手を目指しホリプロのオーディションに合格しますが、演歌ではなくアイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとしてデビューします。

この時は本名である「岡美里」として活動していました。

丘みどりさんはアイドルとして、くりぃむしちゅーの「大阪しちゅーFACTORY!」などバラエティー番組で体を張ったロケを行うなど下積み時代を経験しています。

意外にも丘みどりさんはアイドルでデビューしていたんですね。

演歌歌手が夢であった丘みどりさんは、夢を叶えるため2003年にアイドルを卒業し、大阪のアーティスト育成専門学校に入り本格的なトレーニングを積んでいきます。

丘みどりの演歌歌手デビューから10年の苦節時代

2004年19歳ころから専門学校でのトレーニング経て2005年にはシングル「おけさ渡り鳥」を発売し演歌歌手「丘みどり」としてデビューします。

当時の丘みどりさんは大阪の事務所に所属し活動していました。

専門学校でのトレーニングを経て約1年間でデビューという早さは、幼い頃から習っていた民謡がベースにあったからだと思います。

デビュー当時の丘みどりさんは、

演歌歌手になりたての頃はヘソ出しルックやミニスカで歌っていました

NEWSポストセブン

と本人が話している通り演歌界のアイドル的な打ち出しで、歌以外で話題になることもありました。

丘みどりさんが大阪時代にだした主なシングルは、

発売年曲名オリコン順位
2007年日御碕灯台166位
2008年風鈴恋唄94位
2010年北国、海岸線153位
2012年木曽恋がらす200位
2014年椅子158位

などがあります。

オリコン順位を見てもわかりますがデビューしてから売れない時代が約10年間続きました。

本人は、

10年間ずっと一緒のまま、一緒の場所で歌って、一緒の道を歩いている感じで、長かったですね

Uta Net

と語っています。

営業先のスナックでお客様に「もっと歌勉強してこい」「なんや!その格好は!」などと言われ悔しい思いもしたことがありました。

丘みどりさんにとって長くつらい時期だったのではないかと思いますが、それでも演歌を続けていたのは歌が本当に好きだったからではないかと思います。

精神力が本当に凄いですね。

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丘みどりのブレイクは上京がきかっけ

丘みどりさんのヘソ出しルックやミニスカで歌っていた姿が徳光和夫さんの目にとまり、2014年29歳ころ「徳光和夫の名曲にっぽん 昭和歌謡人」(BSジャパン)に呼ばれ出演したのをキッカケに上京を意識します。

その後、10年間の苦節を経て丘みどりさんは大阪で所属していた事務所の契約期間がきれるタイミングで「自分からアクションを起こしてみよう」と決心し、事務所やレコード会社を自ら探します。

資料を自分で作成して事務所やレコード会社に送ったり、歌手の美川憲一さんに相談するなど精力的に活動し、現在の事務所「アービング」への所属とレコード会社も「キング・レコード」に決まり上京することとなります。

きっと10年の苦節時代の経験が丘みどりさんの強い精神力を作ったと思いますし、演歌への情熱が本当に凄いですよね。

そして2016年、丘みどりさんが31歳のとき、移籍第一弾のシングル「霧の川」を発売するとオリコン週間演歌・歌謡シングルチャートにおいて第1位を獲得し、オリコン全体でも28位となります。

さらに2017年にはシングル「佐渡の夕笛/雨の木屋町」もオリコン週間演歌・歌謡シングルチャートにおいて第1位を獲得し出荷8万枚と自己最多を記録の大ヒットとなります。

このヒットもあり2016年以降、3年連続でNHK紅白歌合戦への出場を果たします。

苦節10年、丘みどりさんの努力と才能がようやく世間に認められました。

移籍後、発売された丘みどりさんの主なシングルは、

発売年曲名オリコン順位
2018年鳰の湖21位
2019年紙の鶴18位
2021年明日へのメロディ4位

となっています。

上京してからのオリコン順位もうなぎ上りですよね。

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家族ぐるみの阪神ファンで六甲おろし歌唱や国家斉唱した丘みどり

演歌歌手としてブレイクを果たした丘みどりさんですが、家族そろっての阪神タイガースファンで知られています。

丘みどりさんは2021年36歳のときから著名人が曲に合わせて登場する「みんなで六甲おろし」の歌唱に3年連続で参加しています。

そして2023年3月には京セラドーム大阪で行われた開幕セレモニーで丘みどりさん初の国家斉唱も行っています。

丘みどりさんご本人も、

ごく緊張したんですが、とてもいい経験をさせていただけてうれしかったです。関西で育って、家族もみんな阪神ファンだったので、そんな舞台で歌えたのは、夢のようでした

サンスポ

と語っています。

普通の人では経験できない特別なことですから今まで苦労してきた丘みどりさんにとっては、本当にうれしいことだったのではないでしょうか。

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